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地獄に堕ちるわよ

Netflixの『地獄に堕ちるわよ』を観終えて、しばらく呆然としてしまった。 細木数子。 いや、すごい。 もちろん、現代の物差しで見れば、ほとんど全部アウトである。 怖い。 強い。 押しが異常。 言葉が乱暴。 金と支配。 だから、 「あんなものはダメだ」 「時代が許しただけだ」 「悪魔みたいな女だ」 と言ってしまうのは簡単だ。 たぶん、そ…

Netflixの『地獄に堕ちるわよ』を観終えて、しばらく呆然としてしまった。

細木数子。

いや、すごい。

もちろん、現代の物差しで見れば、ほとんど全部アウトである。

怖い。

強い。

押しが異常。

言葉が乱暴。

金と支配。

だから、

「あんなものはダメだ」

「時代が許しただけだ」

「悪魔みたいな女だ」

と言ってしまうのは簡単だ。

たぶん、それは正しい。

でも、その正しさだけでは片づけられないものが、あのドラマのあの人にはあった。

生きる力である。

地獄を見て、泣き崩れるのではない。

地獄の地図を読み、抜け道を探し、最後にはその真ん中に自分の椅子を置いてしまうような力。

あれは占い師というより、昭和という巨大な猛獣の背中に飛び乗り、そのたてがみを掴んだ女だったのだと思う。

戦後。

銀座。

男社会。

金。

欲望。

恐怖。

テレビ。

綺麗なものだけで出来た世界ではない。

むしろ、ほとんど全部が泥である。

その泥の中で彼女は、

「清く正しく生きます」

などとは言わなかった。

そんなことを言っていたら、たぶん最初の角で食われていた。

「地獄に堕ちるわよ」

あの言葉は、ただの脅し文句ではなかったのかもしれない。

むしろ、

「私はもう、とっくにそこを通ってきた」

という声だった。

だから怖い。

だから強い。

だから嫌悪感もある。

でも、同時に、どこか清々しい。

私はたぶん、比較的育ち良く育ってしまった人間である。

ありがたいことに、あそこまで剥き出しの地獄を、腕力だけで突破してきたわけではない。

だから、細木数子のような生き方には到底敵わないと思った。

敵わない。

それは、道徳的に負けているという意味ではない。

人間の馬力として、まったく別物なのだ。

こちらが綺麗な言葉を並べて、

「それは倫理的にどうなのか」

「現代的には問題があるのではないか」

などと言っているあいだに、彼女は男たちを黙らせ、札束を動かし、テレビカメラの前で人の人生をぶった切っていた。

最悪である。

でも、つまらなくはない。

ここが大事なのだ。

世の中には、正しいけれどつまらないものがある。

優しいけれど何も起こらないものがある。

整っているけれど、魂が一ミリも震えないものがある。

その反対側に、細木数子はいた。

間違っている。

危ない。

過剰だ。

でも、生きている。

見ていて、ふとヒカルやてんちむのことを思い出した。

炎上を燃料に変える人たち。

嫌われることを、ただのダメージで終わらせない人たち。

傷や批判の中から、なぜかもう一度立ち上がってくる人たち。

そこには同じ匂いがある。

私はそういう生き様を見ると、どうしても惚れ惚れとしてしまう。

「嫌われたら終わり」ではなく、

「嫌われても見られているなら、まだ勝負は終わっていない」

という感覚。

正しさだけで人は動かない。

優しさだけでも人は動かない。

人が本当に動くとき、そこにはたいてい毒がある。

怖さがある。

欲望がある。

見てはいけないものを見てしまったような、ざらついた魅力がある。

細木数子は、その毒の配合が異常にうまかった。

正論に毒を混ぜる。

恐怖に希望を混ぜる。

占いに人生相談を混ぜる。

母性に支配を混ぜる。

救済にビジネスを混ぜる。

だから人は惹きつけられた。

怒りながら見た。

怖がりながら信じた。

馬鹿にしながら、目が離せなかった。

つまり、彼女は怪物だった。

そして怪物とは、正しい人のことではない。

時代の矛盾を全部飲み込んで、それでも自分の形に変えてしまう人間のことだ。

令和の私たちは、ああいう人をもう許せない。

たぶん、それでいい。

許してはいけない部分もたくさんある。

でも、同時に思う。

匿名で石を投げる。

空気を読む。

炎上を避ける。

正しい言葉だけを選ぶ。

誰にも嫌われない位置を探す。

そんなふうに少しずつ輪郭を薄くしていく私たちのほうが、もしかしたら別の地獄にいるのではないか。

細木数子にとって、地獄とは恐れる場所ではなかった。

攻略する場所だった。

商売する場所だった。

椅子を置く場所だった。

自分の名前を刻む場所だった。

「地獄に堕ちるわよ」

その裏側で、彼女はきっと笑っていた。

あんたたちは、そんなに綺麗な場所で生きているつもりなのかい。

そう言われているような気がした。

私は彼女のようには生きられない。

たぶん、生きたいわけでもない。

でも、綺麗事ばかりを並べて、誰の心にも火をつけない世界よりは、あの剥き出しの生き方のほうが、どこか清々しく、美しくすら見えてしまった。

不謹慎かもしれない。

でも、そう感じてしまったのだから仕方がない。

怪物には、怪物にしか持てない美しさがある。

あのドラマの細木数子は、間違いなくそれを持っていた。