安全で心地よい革命
社会派ロックの会場で売られているのは、政治的な解決ではなく、「社会派な自分」という心地よい自己肯定感なのかもしれない。

暗闇のなか、腹に響く爆音とともに、スクリーンの映像が切り替わる。モノクロの街並み、切り貼りされたニュースやSNSの断片、そして抽象的な権力への抗議。そんな「それっぽい」映像を背にアーティストが叫ぶとき、フロアの温度は確実に一段上がる。
観客たちの胸に湧き上がるのは、単なる音楽への興奮だけではない。
「俺たちは今、世界の歪みに抗うクールな側にいる」
という、痺れるような全能感だ。
だが、客観的に眺めれば、これはロックビジネスの歴史が証明してきた、極めて洗練された「王道の黄金パターン」である。
会場のオーディエンスが本当に買い求めているのは、政治的な解決や革命の実行ではなく、「社会派な自分」という心地よい自己肯定感だからだ。
このビジネスモデルの美しさは、完璧なまでの「リスクゼロ」にある。
生々しく意見が割れる具体的な政策や、誰かを本気で傷つけかねない現実は、ここには持ち込まれない。
掲げられるのはいつだって「戦争反対」や「自由を」といった、会場の誰もが「そりゃそうだ」と頷ける、抽象的で無害な正義だ。
誰も傷つかず、誰もリスクを負わない安全圏のなかでだけ、その革命ごっこは成立する。
ライブが終わり、ライトが点灯すると、観客たちは満足げな顔で、ドリンクコインをポケットのなかで弄びながら帰路につく。
彼らはその夜、世界に思いを馳せ、権力に抗うポーズを決め、現実の生活を何ひとつ変えることなく、「正しい側の人間」としてベッドに入れるのだ。
これを欺瞞と呼ぶのは、野暮というものだろう。
アーティストは最高に演出された「意識高い系アトラクション」を提供し、観客は上質なカタルシスと安眠を手に入れる。
双方のニーズがこれ以上ないほど完璧に合致しているという意味で、これほど健全で優れたエンターテインメントも、そうはない。
あなた自身にも、ライブ会場の暗闇で、この「安全で心地よい熱狂」に身を委ねてしまった経験はないだろうか。