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音圧があるのに、潰れていない音の正体

「音圧を上げすぎると、逆に音が悪くなる」これはもう、都市伝説ではなく、完全に事実です。マスタリングを少しでもかじった人なら、誰もが一度はこの壁にぶつかります。 音圧を上げる。それはつまり、小さな音も引き上げ、すべての音を同じ高さに揃える、ということです。 するとどうなるか。ドラムも、ボーカルも、ギターも、全部がペタッと前に張り付いたような…

「音圧を上げすぎると、逆に音が悪くなる」これはもう、都市伝説ではなく、完全に事実です。マスタリングを少しでもかじった人なら、誰もが一度はこの壁にぶつかります。

音圧を上げる。それはつまり、小さな音も引き上げ、すべての音を同じ高さに揃える、ということです。

するとどうなるか。ドラムも、ボーカルも、ギターも、全部がペタッと前に張り付いたような音になる。一見すると迫力はありますが、しばらく聴いていると息苦しくなる。音楽が呼吸をやめてしまったような感じがする。まるで箱の中に閉じ込められてしまったみたいに。

つまり──音楽におけるダイナミズムが、死んでしまう。

とはいえ、音圧を上げなければ、それはそれで別の問題が起きます。他の市販曲と並べて聴いた瞬間、「あれ? なんか小さくない?」と感じてしまう。これはもう、今のリスニング環境では避けられない現実です。正義は、いつも真ん中にあります。

上げすぎると死ぬ。下げすぎると、しょぼい。このギリギリの綱渡りを極めていく。それが、現代のマスタリングです。

マスタリングの手法は、エンジニアごとに本当に様々です。でも、身も蓋もない言い方をすれば、EQひとつとリミッターひとつあれば、マスタリングは理論上成立します。それでも多くのエンジニアが、大量のプラグインや巨大なアナログ機器を使う。理由はひとつしかありません。

音圧は上がっているのに、潰れていない。その最高のバランスを、ほんの1ミリでも突き詰めるためです。

私は長年、アナログ機器、とくにハイエンドなプリアンプに内蔵されたオーディオトランスのサチュレーションに強い魅力を感じてきました。そこには、デジタルだけではなかなか再現できない、独特の躍動感があります。

ポイントは、音量の大小ではありません。大きな音が入ったとき、トランスがほんのわずかに飽和し、その瞬間に自然な倍音が生まれる。この現象が、「音が前に出てくる感じ」や「音圧があると感じる錯覚」を生み出しています。

極端に言えば、ギターのクランチサウンドと同じです。弱く弾けばクリーン。強く弾けばジャリっと歪む。音量が変わっているわけじゃない。表情が変わっているだけなのです。

私はこの現象を、いわば肌感覚レベルのところで起こしています。リミッターで無理やり潰すのではなく、音が自分から「大きく感じる方向」に変わるポイントを探す。すると不思議なことが起きます。数値上の音圧はそれほど変わっていないのに、聴いた瞬間、音が強いと感じる。

そして何より、音楽が、ちゃんと息をしている。

箱の大きさは、最初から決まっています。大切なのは、その箱の中に、どうやって風通しよく、美しく、音を住まわせてあげるか。その鍵は、音量ではありません。倍音と、感触。

マスタリングとは、メーターを睨む作業じゃない。音がどう感じられるかを、最後の最後で整える、とても人間的な仕事。私は、そう思っています。

制作環境AMATERAS STUDIO / AMATERAS SHOPhttps://amaterasshop.base.shop/