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ブラックミュージックの良さがまったくわからなかった。

子供の頃、jazzとかブルーズとか、いわゆるブラックミュージックの良さがまったくわからなかった。 まず、メロディが覚えにくい。童謡や歌謡曲みたいに、「はい、ここがサビです。ここを一緒に歌ってください」という親切設計があまりない。輪郭が曖昧で、ふわっとしている。 コードもよくわからない。明るいのか暗いのか、はっきりしない。メジャーなのかマイ…

子供の頃、jazzとかブルーズとか、いわゆるブラックミュージックの良さがまったくわからなかった。

まず、メロディが覚えにくい。童謡や歌謡曲みたいに、「はい、ここがサビです。ここを一緒に歌ってください」という親切設計があまりない。輪郭が曖昧で、ふわっとしている。

コードもよくわからない。明るいのか暗いのか、はっきりしない。メジャーなのかマイナーなのか判然としないまま、なんとも言えないところをうろうろしている。

アレンジも、子供の耳にはずっと同じことをやっているように聴こえた。派手な展開も少ないし、わかりやすい盛り上がりもない。

要するに、あまり楽しいタイプの音楽ではなかったのである。

でも、不思議なことに、わからないなりに「なんだかこれはかっこいいのではないか」という気配だけはあった。

あれは、近所にいる無口な爺さんに対する感覚に少し似ている。

何を考えているのかよくわからない。別に愛想もない。話していて特別おもしろいわけでもない。むしろ、子供からすると、ちょっと退屈ですらある。

でも、なぜか「この人、ただ者じゃないのかもしれない」と思わせる何かがある。

たぶん、人生のどこかをちゃんと通ってきた顔をしているのである。

jazzやブルーズやブラックミュージックが少しずつわかってきたのは、20代になってからだったと思う。

少しずつ、甘いだけではないもの、苦いだけでもないものを受け取れるようになってきた頃だ。

世の中は、子供の頃に思っていたほど、きれいに明暗で分かれていない。

嬉しいことの中には少しの寂しさが混じっているし、悲しいことの中には妙な可笑しみが紛れ込んでいる。

勝ったと思った瞬間に負けの匂いがして、終わったと思った場面で、なぜか話が始まる。

そういう、どっちとも言えない場所に人生の本体があるのだと、だんだんわかってくる。

その頃から、あの音楽たちが急に身体に入ってくるようになった。

なるほど、これはメジャーでもマイナーでもないのだ、と思った。

いや、正確に言えば、メジャーとマイナーのあいだを、わざと少し濁らせながら通っていく感覚なのだろう。

きっぱり明るくもなく、きっぱり暗くもない。

笑っているのに目が少し笑っていない、とか、泣きそうなのに妙に腹が据わっている、とか、そういう人間くさい揺れが音になっている。

ブルーノートとは、単なる音階上のテクニックではなく、人生そのものの態度なのではないかと、今では思う。

人生は、メジャースケールではない。

もちろん、ずっとマイナースケールでもない。

人生はたぶん、ブルーノートスケールなのだ。

しかも厄介なことに、止まることは許されない。

気分はどうあれ、とにかくグルーヴだけは切らさずに進んでいかなければならないのである。

毎回同じ譜面をなぞっていれば済むわけでもない。

予定調和で片づくほど、こちらの事情も、相手の事情も、世界の都合も単純ではない。

だからアドリブが必要になる。

その場で聴き、その場で選び、その場で次の一音を出す。

しかも、その一音が次の展開を決めてしまう。

譜面通りに生きたい気持ちはあっても、実際には譜面にないところこそが本番だったりする。

人生は、きれいに正解へ着地するためのものではない。

少し外しながら、少し濁しながら、それでも「ああ、この感じだ」と思える場所へ、グルーヴしながら進んでいく。

たぶんそれが、ブルーズであり、jazzであり、ブラックミュージックであり、そして人生なのである。