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屋根で焼肉は可能か?

巨大な旧ノコギリ工場の屋根が生産していたのは、暑さだけだった。焼肉になりかけながら気づいた、太陽光発電の始まり。

長岡でスタジオのDIY工事を始めた頃、大きな旧ノコギリ工場の屋根に登って、ペンキを塗ったことがある。

夏も近かった。

屋根の上は、暑いというより、ほぼ調理器具だった。

巨大な鉄板が太陽に焼かれ、下からものすごい熱量を放っている。立っているだけで全身が焼かれていく。

ここに肉を並べたら、数分で何トンもの焼肉ができるんじゃないか。

カルビだけではない。ロースも、ハラミも、工場一棟ぶんまとめて焼ける。

そんなことを考えながら、私はペンキを塗っていた。

しかし、ふと思った。

このエネルギー、半端じゃないぞ。

空から無料で、頼んでもいないのに毎日これだけのエネルギーが降り注いでいる。それなのに人間は「暑い、暑い」と言いながらエアコンを動かし、その電気代を払っている。

太陽が屋根を熱くする。

人間が電気を使って室内を冷やす。

なんだか、ものすごく遠回りなコントのようである。

この巨大な工場の屋根は、一日中、ただ「暑い」というものだけを生産していた。

元ノコギリ工場なのに、もうノコギリさえ作っていない。

作っているのは、暑さだけだ。

しかも大量生産である。

そのとき、太陽光発電って、かなりアリなんじゃね?と思った。

環境問題を深く考えたわけでもない。

SDGsについて勉強したわけでもない。

投資回収シミュレーションをしたわけでもない。

ただ屋根の上で、自分が焼肉になりかけながら、そう直観したのである。

これは、いわば物理的な直観だった。

厳密にいえば、太陽光発電が利用するのは屋根の「熱」そのものではなく、太陽の「光」である。

だが、屋根の上ではそんな区別はどうでもよかった。

光と熱は、理科のテストでは別の項目かもしれないが、あの場所では完全に共犯者だった。

これほどのものが毎日空から降ってきて、ただ屋根を熱くし、人を苦しめ、最後は空気中へ消えていく。

利用しなければ、どう考えてももったいない。

私にとって太陽光発電の始まりは、地球を救おうという高尚な理念ではなかった。

旧ノコギリ工場の屋根の上で、

「これ、肉を焼くだけに使うには惜しいな」

と思ったことである。

(実際にはトタン屋根の熱では焼肉は焼けない。だが、屋根に降り注いでいるエネルギーだけなら、何トンもの肉を加熱できる。…が物理的に正解)