反体制アート
バンクシーを見ていると、時々ふと思う。 「それ、もう最初から答え書いてあるよね」と。 もちろん、うまい。 絵としても強い。 一瞬で意味が伝わる。 SNS時代との相性も抜群だ。 火炎瓶の代わりに花束を投げる。 監視カメラの下で遊ぶ子供。 ネズミ。 兵士。 風船。 国旗で塞がれた顔。 なるほど。 戦争反対。 権力批判。 資本主義への違和感。 …
バンクシーを見ていると、時々ふと思う。
「それ、もう最初から答え書いてあるよね」と。
もちろん、うまい。
絵としても強い。
一瞬で意味が伝わる。
SNS時代との相性も抜群だ。
火炎瓶の代わりに花束を投げる。
監視カメラの下で遊ぶ子供。
ネズミ。
兵士。
風船。
国旗で塞がれた顔。
なるほど。
戦争反対。
権力批判。
資本主義への違和感。
弱者への眼差し。
たしかに正しい。
いや、正しすぎる。
だが、その「わかりやすさ」に、私は時々少し退屈してしまう。
アートというものは、本来、
「まだ言葉になっていない感覚」
を提示するものだったはずだ。
見た瞬間には理解できない。
なのに、なぜか気になる。
あとからじわじわ効いてくる。
自分の中の何かが少しズレる。
本当に危険な表現というのは、たいてい説明が難しい。
だがバンクシーは、あまりにも説明しやすい。
そこには、現代的なストリートアートのジレンマがあるのだと思う。
ストリートに描かれる以上、
通りすがりの人が3秒で理解できなければならない。
つまり必然的に、
「誰もが知っている正義」
へと収束していく。
すると、
反体制を装いながら、
実際には“現代社会の良識”を気持ちよく確認させる装置になっていく。
「権力は危険だよね」
「戦争は嫌だよね」
「子供は純粋だよね」
もちろん、それは間違っていない。
ただ、
そこにはもう、
本当に触れてはいけない混沌や、
人間の醜さそのものを直視する危うさは、
あまり残っていない。
むしろ安心して見られる。
「ちょっと社会派な自分」
を確認するためのインテリアとして機能している。
そして皮肉なのは、
その“反体制アート”が、
いまや巨大な資本主義システムの中で最も成功していることだ。
壁の落書きは保護され、
作品は億単位で取引され、
シュレッダー演出ですらブランド価値になる。
かつての「破壊」は、
完全にマーケティング化された。
だが、だからといって、
バンクシーがつまらないと言いたいわけではない。
むしろ逆だ。
彼はたぶん、
現代社会そのものを使った巨大な広告キャンペーンをやっている。
本当の作品は壁の絵ではない。
その絵を見て、
「これは深い」
「社会をえぐっている」
と言いながら、
ワイン片手に格差社会を語る金持ちたちの姿。
そして、少し遅れて正義に参加した気分になっている善人たち。
その滑稽さごと含めて、
彼は作品化している。
つまりバンクシーは、
芸術家というより、
世界最高峰のクリエイティブディレクターなのかもしれない。